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なぜBad Bunnyのスーパーボウルは、こんなにも「誇り」を感じさせたのか ーーサルサを踊る立場から見た、ハーフタイムショー


スーパーボウルのハーフタイムショーは、世界で最も注目されるステージのひとつ。

その大舞台でBad Bunnyが見せたショーは、単なる「ラテンアーティストの出演」の域を超え、プエルトリコとサルサの誇りを真正面から掲げた、強い文化的メッセージだったと、サルサダンサーとして強く感じました。


ショー全体に込められたBad Bunnyの思い



今回のショーで特に印象的だったのは、

「アメリカのメインストリームに寄せにいかない」という姿勢です。

英語中心の構成や、ポップに寄せた演出に逃げることなく、自分がどこから来たのか、何を背負ってこの場所に立っているのかを、音楽とダンスでまっすぐに語っていたように感じます。


それは、

• プエルトリコの歴史

• 植民地的な立場への静かな抵抗

• それでも失われなかった音楽と踊り


こうした背景を知っている人ほど、胸に深く刺さる内容だったと思います。


圧倒的な存在感を放ったサルサダンサーたち



サルサダンサーとして、今回いちばん震えたのは、「あの人数のサルサダンサーが、スーパーボウルのど真ん中に立っていた」ということです。


バックダンサーではなく、

飾りでもなく、

ひとつの主役としてのサルサ。


ステップ、パートナーワーク、身体の使い方・・・すべてが「本物」でした。

これは、サルサを踊る人間なら一瞬でわかります。


歌われ、踊られたサルサ


そして印象的だったのは、サルサがただの“演出の一部”として使われていなかったことです。

懐かしさを添えるための音楽でもなく、引用として置かれている感じでもなく、今の音楽として歌われ、踊られていました。


• Nuevayol

• Baile Inolvidable

• なによりLady Gagaがサルサを歌う…!


どれも、少しだけ流れる、といった扱いではなく、しっかり歌われ、踊られ、大切に扱われていた印象です。


サルサは「昔の音楽」ではない。

今も人を動かし、アイデンティティを語る力を持つ音楽なんだと、世界に伝えるような構成でした。


プエルトリコ、そしてサルサにとっての意味



プエルトリコは、世界的に見ると、どうしても目立ちにくい存在です。

政治的にも文化的にも、主役として語られることは多くありません。

でも、今回のショーは、強い意思を感じさせるものでした。


「私たちは、ここにいる」

「私たちの音楽と踊りは、世界の真ん中に立てる」


サルサは、ただのダンスジャンルではない。

生きていくための表現であり、人と人をつなぐコミュニケーションであり、

そして、誇りを「言葉」ではなく「身体」で語る方法。


そんなサルサの姿を、このハーフタイムショーで見せてくれた気がします。


サルサを踊る私たちへのメッセージ


このショーを観て、強く思ったのは、

「私たちが日々踊っているサルサは、こんなにも大きな物語を持っている」ということです。


スタジオで踊る一曲も、ソーシャルで踊る一曲も、そのひとつひとつが、実は文化を受け継いでいくことにつながっている。


そんなことを、あらためて感じさせられました。


Bad Bunnyのこのショーは、サルサを踊っているすべての人に向けた、 ひとつのラブレターだったように思います。



今回のハーフタイムショーを観て、

「音楽に合わせて、こんなふうに身体を動かす世界があるんだ」と感じた人もいるかもしれません。


サルサは、音楽や人との距離を楽しむための「文化」に近いものです。

特別な知識がなくても、リズムがわからなくても、まずは「いい音楽だな」と感じるだけで十分。


もしこのショーで少しでも身体が反応したなら…それはもう、サルサに出会う準備が始まっているのかもしれません。



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